嫌気が差すのは自分のイメージと違うとき
有名人のTwitterがあんまり好きじゃない。
一番の理由は気にくわないから。
これだけで完結させたいんだけどこれでは何も伝わらないのでもっと膨らませて書く。
Twitterはドブだ。
ドブで有名人がマウントを取ろうとするな。
違うフィールドでマウント取れと思う。
そのくせTwitter以外ではそんな持論を展開しない。
※展開していないのではなくあまりに糞なので編集されている可能性はあるが…だとしたら編集ナイス。
勝手な感情だが俺はテレビやその他媒体のお前が好きなのであって
Twitterで意味不明な持論を並べ立てるお前が好きなんじゃないと常々思う。
この感情は自分の中のハードルが上がりすぎているから起こるんだろう。
だから有名人がTwitterをやるのが悪いわけではない。
本当は己のイメージがちっぽけで本質を汲み取れないからこういうことになる。
俺が本当に嫌なのは有名人のTwitterではなくて自分のイメージと異なることが分かってしまった時だ。
単なる傲慢だが嫌いなモノって考えてみると大概自分に問題があるんだな。
秘密主義の人間は好きだ。
正解のイメージがなければいつまでも理想のイメージを重ね合わせられるので。
自分のイメージと異なること・ものを愛することが自分の人間性向上につながるんだろうか…?
隣人を愛しなさい
こんな言葉が聖書?にあったような気がするが実はこういう小さいことだったりして。
とことこにー☆(終劇)